スピーチトレーナー/司会 海野美穂

テストは0点。なりたくない職業は先生。うつ病にもなった。そんな私が人前克服の講師をしているワケ~未来編~

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話ネタはあるのに、人前が苦手でセミナー開催ができないあなたから「やれる!」を引き出す専門家

人前克服トレーナー 海野美穂です。こんにちは!

 

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はじめに…

演劇=エンターテイメントという概念を破り、演劇=日常生活に活かせるものという素晴らしさを伝えたい

いつの日か、日本の小・中・高の教育のどこかに【人前で伝える】という科目が入っている世界を創りたい

が、私の起業した理由です。

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海野美穂人生物語3笑。これでラストです。

出会い編がまだの方はコチラから
どん底からの回復編がまだの方はコチラから

卒業してからは、4つのキッカケがありました。

 

 

1.うつ病の次は○○?!舞台降板。

大学でうつ病を経験。卒業までには回復した私は、ここからだ!と意気込んでいました。今までの時間を取り返そう。そう感じ、卒業後は芸能事務所に入りました。ところが、またしても試練が待ち構えていたのです。

 

稽古中に、膝蓋骨を脱臼骨折。

 

膝のお皿が割れちゃいました。いつもより、ちょっと高めにジャンプをしただけだった。なのに、膝が脱臼して、そのまま床にぶつかり、割れた。超絶痛い!でも頭の中は、「2か月後に控えている舞台、どうしよう!」だった。

そう。出演舞台があったんです。でも全治半年。サポーターなしでは、歩けませんでした。舞台は降板。でも、稽古をつけてくれていた先生たちが、「制作をやらないか?」と誘ってくれたんです。

 

降板した舞台を、制作で支える。苦しさもありました。でも、まさかですが、生きがいも感じたんです。「誰かをサポートすること」に。

今まで私は、自分が前に出ることがすべてと思っていたけれど、サポートするポジションで、誰かが成長して輝く姿はこんなに美しいのか…と、新しい景色を見たのです。

 

私って、本当はサポーターの立場が合う人間なんじゃないかな?

 

初めてそう感じた。その後、けがも良くなり舞台に復帰しましたが、膝への負担はなかなかのものでした。そしてやはり、「サポーター」という言葉が引っ掛かり、一度役者を辞めようと決意したのです。24歳の時でした。

 

 

2.あんなに嫌いだった先生になった!

24歳。一文無し!スーツも持ってない。さぁどうする?就職しかないですよね。もう、演劇とは関わらないと決意したんですが…就職した先は「芸術高等学校」しかも、「声優コース」がある学校でした。

やっぱり、好きだったんですね、演劇が。たまたま前任の先生が体調不良ということもあり、私は「演技」の授業を任せてもらえることになったのです。24歳の夏でした。

 

 

3.元不登校の生徒たちとの出会い

私が担当していた生徒は、当時8割が元不登校生。でも、自分を変えたい!人と違うことをしたい!と、演技を学びに来ていたんです。

今まで高校生とそんな仲良くしたことも無いし!第一教えの経験もない。やばい。大ピンチ!

初めて教室に入った時の、「誰?こいつ?」という大人に対して不信感丸出しの生徒たちを見て、一瞬ひるんだ。同時に、過去の自分を思い出した。 私は先生が嫌いで、学校で抑うつされていた。そういう風に、自分を作ってしまっていた。だから、こう決めました。

 

「うんのちゃんみたいな先生になりたい、とかじゃなくて、そういえばうんのちゃんって先生がいたな」と思えるような、人間を目指そう。

正面で良い表情を浮かべているより、背中で生きざまを見せられるような、人間になろう。

そして、嫌われてもいいから「だめはダメ。間違ったら謝る。わからないことは、教えてって伝える。ありがとう。大好き。」を伝えられる人になろうと、思ったのです。

 

演劇に出会った生徒たちは、とっても元気になりました。毎日学校に来て、私を鬼だと言い(笑)、文句たれながらもやる姿は、素敵でした。発表会で保護者から「うちの子って、こんな声をしていたんですね」と言われたのが忘れられません。

 

人前を克服して、面接が通った。大学生になった。社会人になった。オーディションに挑戦できた。入学してきたときは、マスクを取ることが出来なかった生徒が、自らの足で前を向いて歩いている。様々な生徒たちの活躍を見ることが出来ました。

 

 

4.先生になりたいけど、人前が苦手。

同時期にもう少し勉強がしたいと思い、大学にちょっとだけ通いました。その時に出会ったのは数学の教職課程を専攻した女の子。

 

「先生になりたいけど、人前に立つと緊張してしまってダメ…。諦めようかな。」

 

人前が苦手だという事で、昔からの夢を諦めようとしている…。その子は私と一緒で、社会人をやりながら大学に通っていたのです。だから、本気で目指していたはずなのに…。相談を受け、居てもたってもいられず、アドバイスをするようになり、「やれるかもしれない」という言葉を聞いた時…。

 

私は先生のサポーターになろう。

 

と決意したのです。

 

 

■最後に

思い返してみれば、私のそばにはいつも演劇と心理学と先生が居た。うつ病になって、心理学に興味を持った。演劇と心理学の関係にひかれた。先生が嫌いだったはずなのに、先生になった。

私、やっと気づいたんです。私の人生の分岐点には、いつも「先生」がいたということに。

 

◎先生なんて大嫌いって思っていた中学時代に「どちらの方が納得できるか」と選択肢をくれた、S先生。

演劇はノン・バーバルコミュニケーションと気づかせてくれたALTのJ先生。

◎うつ病時代に、演劇療法の実践に誘ってくれたT先生。

◎舞台を降板したとき、制作に誘ってくれたS先生とO先生。

◎そして、私の教えのマインドを作ってくれた、教え子&数学の先生になりたい友人という、先生。

 

困った時に、支えてくれたのは「先生」だったんだと、やっと気づいたんです。特に、教え子たちは今の私に「経験」をくれた。彼らに足を向けて寝れない笑。

デスクトップの写真は、集合写真です。初心忘れるべからず。教え子たちに伝えたことを、実践しよう、嘘はつけないな。と感じるから。

 

人前で話すことに対して、苦手意識が一つ減るだけで、新しい景色が見えます。それはまさに、未来を切り拓くこと。私がいつもコラムの結びで書く「人前を克服することは、未来を切り拓く」とは、ここから来ています。

 

演劇を愛し、演劇を憎み、演劇に感謝。
うつ病を呪い、うつ病で学び、うつ病に感謝。
先生を煙たがり、先生に助けられ、先生にやっぱり感謝。

 

だから私は、
演劇・心理学・先生にこだわって、人前克服トレーナーをやっています。

 

とっても長くなってしまいました。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

人前克服トレーナー 海野美穂

 

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